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ルート66 怒りの葡萄 サリソー オクラホマ州


怒りの葡萄

アメリカの作家ジョン・スタインベックの小説。初版は1939年。スタインベックは1940年にピューリッツァー賞を受賞。ノーベル文学賞受賞怒りの葡萄は、サリソーのオクラホマ州の田舎町から物語は始まります。サリソーの町はルート66からは100kn以上も南の田舎町。


物語は、農地を棄ててカリフォルニアへ移動する一家が住んでいたのは、オクラホマ州サリソー。そして、家族はサリソーから西へ、ヘンリーエッタを通って、オクラホマシティへと走る、 映画では、ルート66の舞台として描いている。


1930年代に起こったダストボウル、多くの農家を貧窮に追いやった。通常、土地は最初にその土地に来た開拓者に開放され、ランドラッシュと呼ばれた、決められた時刻に特定の土地が開拓者に開放され、待ちかねた開拓者が一斉に駆け出す仕組みが1889年に何度か行われた。公式の解放時刻以前に境界を越えるという規則破りは抜け駆け=soonerで境界を越えたと言われ、sooner早い者勝ちという言葉がオクラホマ州の公式ニックネームSooner Stateに成った


映画「怒りの葡萄」の町、サリソー、オクラホマ州 

サリソーの名前の由来は「塩肉」を意味するフランス語の単語salaisonの意味 .人口8880


1840年代から1850年代にサリソーは、アーカンソー川フォートスミスとフォートギブソンとの蒸気船の船着き場だった。サリソーは、1887年から1888年、白人男性のArgyle QuesenburyWill Watie Wheelerがチェロキー族のリーダーStand Watieとの出会いから始まる。


当時いくつかの郵便局が近くの地域に存在していたが、1873年から1888年チルダーの駅と呼ばれる郵便局がサリソーに変更された。Watieウィーラーは1880年代から1890年代の間に町に綿繰り機、製材所、グリストミルや貯木場町に幾つかのビジネスを確立します。1896年、ウィーラーは又葬儀社の棺ショップをオープンし、 21世紀までサリソーでビジネスをしていた。


バンビューレン、アーカンソー州 は、1888年から1890年にサリソーにカンザス州とアーカンソー州バレー鉄道から東西ラインを構築しました。1895年から1896年にカンザスシティ、ピッツバーグ湾岸鉄道がサリソーを南北にラインを構築した。


1932年、地元の新聞、 セコイヤ郡タイムズ紙は 、発行を開始し、サリソーの実業家の息子と彼の妻によって設立されまし21世紀までメイヨー•ファミリーが所有していた。サリソーの町の名前は、ハンターが狩りに行く時にバイソン肉を塩漬けした事から塩を意味し、フランス語のsalaisonから取られ、町が設立された。


町の地域経済は、早い時期に綿栽培を行い、1920年代、経済は、木材、石油•天然ガスの生産にシフト。第二次世界大戦中に 捕虜収容所が設立さた。 戦後は小売業などが確立された。1960年代ビル•ヘッジによってブルーリボンダウンに競馬場が設立したが、1973年に競馬場を投資グループに販売した。1982年までギャンブルは非合法だったが、1984830日、競馬のギャンブルが合法化に成り、競馬関連事業の短期的なブームを引き起こした。その後、人気は衰え競馬場の財政的窮地陥った。チョクトー国家は、2003年に設備を購入し、多くの資本を入れ、カジノとレーストラックを組み合わせた「racino」に変換されたが、改善にも関わらず、競馬は2010年に閉鎖した。


怒りの葡萄TheGrapes of Wrathは、ルート66が舞台に成っている。作家ジョン・スタインベックの小説。初版は1939年。スタインベックは1940年にピューリッツァー賞を受賞。ノーベル文学賞受賞


世界恐慌1930年代、大規模資本主義農業の進展や、オクラホマ州はじめアメリカ中西部で深刻化したダストボウル=土地の荒廃による砂嵐により、所有地が耕作不可能となって流民となる農民が続出し、社会問題と成った。当時の社会状況を背景に、故郷オクラホマを追われた一族の逆境と、不屈の人間像を描く。


アメリカ・オクラホマ州サリソーの農家の息子である主人公のトム・ジョードは、人を殺し、4年間の懲役刑から仮釈放で実家に戻って来た。彼の家族の農場はダストボウルで耕作不能と成り、生活に窮した家族はオクラホマを引き払い、仕事があると耳にしたカリフォルニア州に一族あげて引っ越そうとした。トムは一族や、説教師のジム・ケイシーなど10人と共に、カリフォルニアへの旅に出た。物語の前半では、全ての家財を叩き売って買った中古車でジョード一家がルート66をたどる旅に出る。


祖父や祖母はアリゾナ砂漠やロッキー山脈を越えてゆく過酷な旅に体力が耐えられず車上で死亡し、従兄弟は逃亡するなど苦難の旅の末、一家は人間らしい生活ができると思っていたカリフォルニア州トゥーレリにたどり着く。当時のカリフォルニアには、大恐慌と機械化農業のために土地を失った多くのオクラホマ農民が流れついていた為労働力過剰に陥っており、ジョード家の希望は無惨に打ち砕かれる。移住者たちは「オーキー」と呼ばれ蔑まれながら、貧民キャンプを転々し、地主の言い値の低賃金で日雇い労働をするほかなかった。労働者を組織しようと活動をはじめたケイシーは地主に雇われた警備員に撲殺される。その場に居合わせたトムはケイシーを殺した警備員を殺害し、家族と別れて地下に潜る。家族を次々と失ってゆくジョード一家のキャンプ地に、豪雨と洪水がやってくる。


怒りの葡萄は、奇数章に作者スタインベックの評論、偶数章にジョード一家の物語を整然と配置した構成を取っている。このような構成を取ることによって、本作は単純な「ジョード一家の物語」という枠を超えて、当時の大恐慌下のアメリカ社会に対する直接的な告発と成っている。


作者スタインベックはキリスト教文学、聖書に決定的な影響を受けた作家で、ジョード一家が貧しいオクラホマから乳と蜜の流れる土地カリフォルニアに脱出するところは、旧約聖書のエクソダス「出エジプト記」をモティーフとしている。物語の最後でママ・ジョードが言う、「先の者が後にまわり、後の者が先頭になる」と。新約聖書の一節である。「社会主義小説」とも評されるが,それだけでは無い、深い内容を持つ作品である。


反響作品は出版当時、アメリカ全土に絶大な影響を及ぼし、全米で本作をめぐる論争が起こった。「風と共に去りぬ」の次に売れた。保守層からは目の敵にされ、1940年にはジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演により映画化され、ニューヨーク映画批評家協会賞の作品賞、監督賞、アカデミー賞の監督賞、助演女優賞を受賞。


1995年にはブルース・スプリングスティーンがアルバム"TheGhost of Tom Joad"を発表している。映画、怒りの葡萄TheGrapes of Wrathは、1940年に制作されたアメリカ映画。モノクロ。1939年に発表されたジョン・スタインベックの小説の映画化作品。1940年の第13回アカデミー賞ではジョン・フォードが監督賞を、ジェーン・ダーウェルが助演女優賞を受賞、5部門がノミネート。


ヘンリー・フォンダ = トム・ジョードについて

原作を読んで深く感銘したフォンダは、どうしてもトム・ジョード役をやりたいと熱望し、そのようなフォンダに対してザナックはトム・ジョード役を餌に7年もの長期契約を提示した。フォンダは長期間縛られることを嫌っていたが、トム・ジョードを演じるという目的の為に7年契約を受け入れた。映画の影響もあり、フォンダはアメリカを代表するタフ・ガイと成った、反面でスタジオに長期契約で縛られ、俳優として脂の乗った時期を不本意に過ごした。





ルート66 怒りの葡萄 #1
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ルート66 オクラホマ州 #1
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ルート66 オクラホマ州 #2
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ルート66 怒りの葡萄 #2
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米国ラスベガス写真家ken kanazawa
route66oudan.com

by javaho33 | 2014-05-22 01:12 | ルート66 怒りの葡萄