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トレーディングポスト



トレーディング・ポスト=交易所

昔、白人とインディアンが交易の為に使った場所で、品物を持ち寄り、物々交換をした交流の場所。トレーディング・ポストは家財道具、刃物や工具類や裁縫道具、ビーズ、鉄鍋などの調理器具、食材、などを取り扱い、質屋(ポウンショップ)、仕事の情報、郵便局などを兼任した。トレーディング・ポストには白人の食料品や工芸品が置かれ、毛皮、ラグ、インディアン・ジュエリーなどと交換していた


インディアンと白人との歴史的な戦いに終止符が打たれた後、インディアンに対して危険を感じなく成った白人はナバホのリザベーションを通過して西部を旅した、この頃からインディアンと白人の間で交易が始まり、1870年代初頭にはアリゾナ州ガナードやニューメキシコ州にトレーディング・ポスト(交易所)が設立される。


カメロン トレーディング・ポスト アリゾナ州

交易の歴史は興味をそそられる。脊柱湾曲の吊橋は渓谷の上の最初の簡単なアクセスを作成し、1911年にリトルコロラド川に建設されました。すぐに、兄弟ヒューバートとC.D.リチャードソンは、一度にそれらのウール、毛布、ドライ品の家畜をバーターナバホとホピ地元の人々が訪れたキャメロントレーディングポストを設立。





トレーディングポスト #1
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トレーディングポスト #2
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トレーディングポスト #3
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トレーディングポスト #4
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トレーディングポスト #5
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トレーディングポスト #6
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トレーディングポスト #7
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トレーディングポスト #8
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トレーディングポスト #9
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トレーディングポスト #10
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トレーディングポスト #11
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トレーディングポスト #12
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トレーディングポスト #14
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トレーディングポスト #15
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米国ラスベガス写真家KEN KANAZAWA
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by javaho33 | 2015-01-31 22:56 | トレーデングポスト

インディアン・ビーズ アメリカ


インディアン・ビーズ織りの歴史

ビーズ織りの歴史は大変古く、紀元前の古代エジプト時代、ビーズの装飾品を持つ事は支配者階級の権力の象徴だった。20世紀初頭にヨーロッパで流行したビーズ織りのバッグは、洗練された美しい色と形を持ち、技術の源は北米インディアンの装飾品です。北米インディアンは、ハマグリの貝殻から白、黒、紫などのビーズを作って富や地位の象徴として装飾品に、又通貨として使っていた。


ロンドンの美術館に所蔵の現存する最も古いビーズ織は120年前の作品です16世紀、ヨーロッパ人が渡米し、贈り物として色ガラスのビーズが流行。バージニアにジェームスタウンが建設すると、ベニス人のガラス細工師が開いたガラス工場で色ガラスのビーズが製造され、インディアンとの交易に使われ、インディアンの間にガラスビーズが広まった。


植民地時代、学者達によってヨーロッパに持ち帰られたビーズ織りの装飾品が職人や工芸家に使われ、ヨーロッパ調のものが作られた。18世紀後半にイギリスにおいて透かし模様や高度なテクニックの美しいビーズ織りのネックレスやブレスレットが作られた。19世紀中ごろのビクトリア時代には、図柄や技術が洗練され、華麗なアクセサリーの大流行し、ヨーロッパ各地に広まった。ビーズ織りの美しさにも各地の特徴がある。最盛期、192030年代、アールデコの時代。ビーズ造りと織りのテクニックは頂点に達し、スチールビーズやメタルビーズで織ったバッグなどが貴婦人達を華麗に彩った。第二次世界大戦、モダニズムの時代へと移り、ビーズ織りもその姿を消した。現在、アメリカをはじめヨーロッパ各地でビーズ織りが楽しまれ、北米インディアンからビクトリア朝の王侯貴族の装飾品まで幅広く多くの人々に愛される伝統工芸品として受け継がれ、人々の心に豊かさと手作りの良さを伝えている。


インディアン・ビーズ

インディアンの工芸、装飾品でもっとも愛され使用されたアイテムはビーズである。ヨーロッパより、探検家や商人などによりもたらされたガラス製のビーズでヨーロッパよりビーズが持たされる以前では、彼らは貝殻や動物の骨などを用いて、自分達の衣装を美しく飾っていた。大型のものはポニービーズ、刺繍の為のビーズは小さくシード種ビーズと呼ばれた。シードビーズの色は様々であるが、インディアンがよく用いたのは、赤、黒、黄色、青、薄青、濃青、緑、薄紫である。


東部森林インディアンは花柄を、平原インディアンは幾何学模様が一般的で、平原クリーク族や平原アパッチは花柄を多用する、ビーズ細工のモチーフは地域に特徴がある。北方平原部族のビーズ細工が広い部分をびっしり覆うのに対し、カイオワ族、シャイアン族、コマンチ族、などの南方の部族は軽い飾り方をした。ビーズを施す方法は、皮や布に刺繍を施す時はオーバーレイステッチ方を、幾何学的な図案を刺繍するにはレイジーステッチ法を用いた。オーバーレイドステッチの場合も、彼らは糸を革の裏まで通すことはせず、革の中を通すくけ縫いをし、ベルトや腕輪などは布や皮にびっしり刺繍をするよりは、ビーズそのものを織りこんで制作をした。




インディアン・ビーズ アメリカ #11 日本TV 和風総本家「東方ビーズ」12-19-13放送
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インディアン・ビーズ アメリカ #2
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インディアン・ビーズ アメリカ #3
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インディアン・ビーズ アメリカ #4
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インディアン・ビーズ アメリカ #5
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インディアン・ビーズ アメリカ #6
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インディアン・ビーズ アメリカ #7
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インディアン・ビーズ アメリカ #8
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インディアン・ビーズ アメリカ #9
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インディアン・ビーズ アメリカ #10
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インディアン・ビーズ アメリカ #11
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インディアン・ビーズ アメリカ #12   モニュメントバレに住んでいる友人ローズさん
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米国ラスベガス写真家ken kanazawa
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by javaho33 | 2015-01-31 03:00 | インディアン・ビーズ

インディアン アコマ陶器


プエブロの陶器 ニューメキシコ州、ニューメキシコ州

アコマ族などのプエブロ・インディアン農耕定住型民族は、精霊が宿ると大地に強い信仰を持ち「母なる大地」の土から作り出される陶器は、人と大地を結びつける存在として尊ばれて来た。アコマ、テワ、ホピ、ラグーナ、サンタクララ、ズニなどのプエブロ・インディアンはすぐれた壺アーティストが多く優れた作品を生み出している。壷は彼らの命を繋いできた大切な存在なのです。


15世紀ストーンエージと同時期、アメリカ南西部のプエプロ部落は、千箇所以上の小さい村に住み、小さい村から数千人単位の村を作り、谷やフラットメサの頂で生活し異なる言語を使った。


彼らが生き残っていけたのは、人達が平和を維持し全ての物を共有していたからです。農業、狩猟を発展させ、都市で仕事をし、土地と植物から素材を生かしすばらしい芸術品が作り上げられた。大自然に与えられている不思議なインスピレーションに恵まれて、原始的な生材質を生かして、織物や刺繍やバスケットを作り、彩りデザインの美しい宗教食器を作り上げたのが、プエブロ・インディアンの陶器の起源ですプエプロ・インディアンによる陶器はすばらしい物があり、芸術品であり、独特なアーティストパワーを感じます。







インディアン陶器 #1  アコマ・プエブロ族
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インディアン陶器 #2
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インディアン陶器 #3
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インディアン陶器 #4
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インディアン陶器 #5
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インディアン陶器 #6
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インディアン陶器 #7
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インディアン陶器 #8
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インディアン陶器 #9
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インディアン陶器 #10
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インディアン陶器 #11
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インディアン陶器 #12
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インディアン陶器 #14
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インディアン陶器 #15  アコマ・プエブロ族 
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インディアン陶器 #16  アコマ・プエブロ族 
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米国ラスベガス写真家ken kanazawa
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by javaho33 | 2015-01-30 13:31 | インディアン陶器

インディアンジュエリー ターコイス



ターコイズ、トルコ石 サウスウエスト

青色から緑色の色を持つ不透明な鉱物で、化学的には水酸化銅アルミニウム燐酸塩である。良質のものは貴重であり、12月の誕生石。英語では turquoise ターコイズと言い、フランス語の pierre turquoise トルコの石に由来する。十字軍の時代、ヨーロッパに広まった為、「トルコの石」と呼ばれる。もとは古フランス語で「トルコの」を表す形容詞だった"turquoise"と言う語が、青の色みの一つを表すように成った。


アメリカの南西部は、トルコ石の産地で、アリゾナ州、カリフォルニア州、コロラド州、ニューメキシコ州、ネバダ州がかつて豊かだった。ニューメキシコ州セリロスには最も古い鉱山があり、19世紀の終わりに、ニューヨークのティファニーが所有、ティファニー・ターコイズと呼ばれる1920年代以前にはニューメキシコが国内最大の産地だったが、枯渇している。


スカイストーン、空の石呼ばれ、インディアンが採掘して儀式や装飾などに使い、水の色と空の色を映りだすところからインディアンにとって神聖な石とされた。ナバホ族はターコイズを幸運のお守りとし、災いを払う力があるとしている。アメリカではスパイダーウェブ”と呼ばれ、クモの巣の模様のターコイズは、価値がある。世界で価格の高いトルコ石は、ネバダで採掘された濃いブルーに細かなスパイダーウェブの「ランダーブルー」、現在では数十カラット以上の大きな物は$10000以上の価格がある。


アリゾナは、価値の面では主要な産地である。鮮やかなビズビーブルーがそこの天然の品質のよいアリゾナ産のものは、多くが銅採鉱の副産物として採取されている。ネバダはもう一つの大産地であり、歴史上、推定で75か所から100か所の鉱山が開かれた。




インディアンジュエリー ターコイズ #1
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インディアンジュエリー ターコイズ #2
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インディアンジュエリー ターコイズ #3
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インディアンジュエリー ターコイズ #4
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インディアンジュエリー ターコイズ #5
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インディアンジュエリー ターコイズ #6
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インディアンジュエリー ターコイズ #7
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インディアンジュエリー ターコイズ #8
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インディアンジュエリー ターコイズ #9
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インディアンジュエリー ターコイズ #10
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インディアンジュエリー ターコイズ #11
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インディアンジュエリー ターコイズ #12
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米国ラスベガス写真家ken kanazawa
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by javaho33 | 2015-01-28 09:32 | インディアンジュエリー

ルート66 インディアン・モーターサイクル



アメリカ最古のバイク、インディアン モーターサイクル
1901年設立、1923年その名となったオートバイメーカーインディアン・モトサイクル。アメリカ合衆国で最も古いオートバイ。殆どのバイクが後輪を駆動するのに革ベルトを用いていた時代に、インディアンの第1号車はチェーンを使用。1920年代を通して排気量750ccと1,000ccのSVエンジンを搭載しハーレーダビッドソンよりも高級路線であり、高性能・高品質の代名詞。

日本でも警視庁がバイクによる交通違反取り締まりを1918年にスタートさせた時に採用され、“赤バイ”と呼ばれた。チーフは塩谷隆志の小説エスパーオートバイシリーズの主人公になっている。


1940年代のピーク時には世界最大の規模で3000人が働いていたが、自動車の台頭などにより売上が落ち、1953年には元あった工場を閉め、1959年には会社を解散。


ルート66アメリカ大陸横断
1926年11月11日創設。アメリカ初大陸横断道路で全長は3,755km。イリノイ州シカゴとカリフォルニア州サンタモニカの8州を結び、南西部、発展の重要な国道であったが1985年に州間高速道路の発達により、廃線。

アメリカ合衆国南西部の経済・産業の発展に大きく貢献。人々はこの国道によって栄え、州間高速道路網の建設が進んでもこの国道を守るために立ちあがった。20世紀中盤の映画や音楽などポップ・カルチャーの中にも多く登場し、多くの人々に愛された道。

ルート66は8州を走っている。
イリノイ州、ミズーリ州、カンザス州、オクラホマ州、テキサス州、ニューメキシコ州、アリゾナ州、カリフォルニア州

ガソリンスタンドのフィリップス66は、オクラホマ州内でのルート66は平坦な直線道路だった為、1920年代後半にタルサの石油会社がガソリンの新製品のテストに使用。テスト中、検査員の1人は速度計を見て「車は時速約106km(66マイル)で走っているようだ」と言った。このときの車の速度と国道の番号をかけて新製品は「フィリップス66」と名付け、全国展開しているガスステーション。

1940年、カリフォルニア州の作家ジョン・スタインベックは『怒りの葡萄』を発表。小説にはカリフォルニアに移住する為に西進するオクラホマの農家が描かれている。作品中、一家は偏見や貧困といった様々な問題を乗り越え、明るい未来を求めて西へ西へと進み続ける。この小説の中で、スタインベックは西へと向かう道の描写に1節を費やし、節の内容をオクラホマシティとルート66に集約させた。この作品の中では、ルート66は「マザー・ロード」と記された。この「マザー・ロード」は、現在でもこの国道の別名として残っている。後にこの小説がピューリッツアー賞を受賞したことにより、この国道の知名度はさらに高まった。

1946年、ジャズピアニスト・作曲家のボビー・トゥループは、自らルート66を走ってカリフォルニアへ赴き、『ルート66』という楽曲を書き上げた。楽曲のタイトルはトゥループの最初の妻、シンシアが思いついたものであった。ナット・キング・コールの歌唱によりこの楽曲は大ヒットした。この後、この楽曲はジャズ・スタンダードの名曲としてローリング・ストーンズを含む数々のアーティストにカバーされる。

1960年から1964年にかけてCBS系列で放送された『ルート66』である。ドラマ中、シボレー・コルベットに乗った2人の若者、トッドとバズは冒険を求めてアメリカ中のハイウェイを走っていく。このドラマの放送をきっかけに、コルベットは「ルート66」に最も関係の深い車。

ゼネラルモーターズには、コルベットと並んで「ルート66」に関係の深い車、キャディラックがある。テキサス州アマリロの近くにはヴィンテージもののキャディラック10台を並べ、先頭を地中に沈めて立たせたキャディラック・ランチというモニュメントがある。2006年ディズニー社の映画、『カーズ』は国道66号線を舞台。






ルート66 インディアン・モーターサイクル #1
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ルート66 インディアン・モーターサイクル #2
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ルート66 インディアン・モーターサイクル #3
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ルート66 インディアン・モーターサイクル #4
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ルート66 インディアン・モーターサイクル #5
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ルート66 インディアン・モーターサイクル #6
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ルート66 インディアン・モーターサイクル #7
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ルート66 インディアン・モーターサイクル #8
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ルート66 インディアン・モーターサイクル #9
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ルート66 インディアン・モーターサイクル #10
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ルート66 インディアン・モーターサイクル #11
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ルート66 インディアン・モーターサイクル #12
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米国ラスベガス写真家ken kanazawa
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by javaho33 | 2015-01-25 21:37 | インディアン・バイク

ボディ カリフォルニア州


ボディ カリフォルニア州

シエラネバダ山脈のふもとにあるゴーストタウン。レイク・タホの南約120kmに位置し標高は2550mある。

19世紀後半のゴールドラッシュで栄え、全盛期には約1万人の人口の町でしたが。20世紀に入り、金が掘り尽くされ、大火があり町は急速にさびれ、ゴーストタウンと成った。ボディは国定歴史建造物、州立歴史公園に成っている。


1859年、この地でWS・ボディによって金の鉱脈が発見され、地名はこのWS・ボディに由来している。185911月、ボディはモノビルに物資調達に行った後、ブリザードによって死亡した。


1876年、スタンダード社が金の埋蔵量のある鉱脈を発見しボディは鉱山町として発展し始めた。1878年にもボディの近くで豊富な埋蔵量の鉱脈が発見された。1880年頃には、ボディの人口は約1万人近くに達した。ゴールドラッシュに沸いたボディの町は、無法地帯と化しボディには60軒のバーが建ち並び、殺人、暴動、馬車のハイジャックなどは日常茶飯事であった。


ボディで採れた金は、金の集積地のカーソンシティに送られた。ボディからカーソンシティへ金を運ぶ際は、武装した護衛がついていた。カーソンシティに着いた金は列車に積まれ、サンフランシスコの造幣局に送られた。


1893年、スタンダード社はボディから約20km離れたグリーン川に水力発電所を建設し、最大130馬力、6600ボルトの電力を発電する事が出来た。発電所で生み出された電力は工場の機械の動力として使われ、電力施設は、初めて長距離の送電を行なったとされている。


ボディにはチャイナタウンもあり、数百人規模の中国人が住んでいた。中国人たちは野菜や薪の販売、洗濯サービス、切断加工、運搬などで生活の糧を得ていた。ボディには墓地、レンガ製の建物で死体仮置き場があった。夏の暑さで死体が腐乱し、悪臭を放つことを防ぐためであった。



ボディ(カリフォルニア州) #1
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ボディ(カリフォルニア州) #2
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ボディ(カリフォルニア州) #4
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ボディ(カリフォルニア州) #5
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ボディ(カリフォルニア州) #6
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ボディ(カリフォルニア州) #7
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ボディ(カリフォルニア州) #8
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ボディ(カリフォルニア州) #9
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ボディ(カリフォルニア州) #10
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ボディ(カリフォルニア州) #12
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ボディ(カリフォルニア州) #14
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米国ラスベガス写真家KEN KANAZAWA
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by javaho33 | 2015-01-24 13:46 | ボディ カリフォルニア